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国民も試されています [平和を]

 

 

 

20181227日西日本新聞投稿欄からです。

 

「防衛予算増大 米軍の下請け  69

 新年度防衛予算の概算要求は約53千億円の見込み。過去最大という。F35最新鋭ステルス戦闘機や陸上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入を計画する。 周辺国の脅威をあおり、 血税が米国の言い値で防衛装備品に莫大な額が投入される愚。そのお金を一部でも、不足する保育所や教育など未来を担う子どもへの 投資ヘ回せばと考えるのは 私だけだろうか。(以下略)」

 

次から次へと武器購入の話が進み、まるで戦争は避けられないかのようなものものしさです。そして、アメリカの属国みたいな雰囲気です。外国からの脅威を煽り、支持率を上げています。国民の目も試されています。


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恐怖社会は [平和を]

 

 

外国の話ではあるが、聞き流してすむ出来事でもない。なにが出来るかと問われれば答えに窮する。

 

「コラム 風向計 「女を修理する」医師 編集委員 井手 季彦

 今年のノーベル平和賞に選ばれたコンゴ(旧ザイール)の産婦人科医デニ・ムクウェゲ氏(63)は2012年、武装した男たちに自宅を襲撃され、家族とともに欧州に避難を余儀なくされた。その時、帰国を願って立ち上がったのが、彼の治療を受けた性暴力被害者の女性たちだった。

 氏が安全に帰国して活動できるよう求める手紙を大統領や国連事務総長に出すとともに、野菜や果物を売ったお金を出し合って航空券代を集めたのだ。ドキュメンタリー映画「女を修理する男-デニ・ムクウェゲ医師の命がけの治療を追う」の中で、女性の一人は「彼は私にとって父親のような存在」と話している。

 氏が初めて被害女性を目の当たりにしたのは、ツチとフツの民族対立などから起きた第2次コンゴ紛争中の1999年。同国東部ブカブの病院でだった。運び込まれた女性は乱暴された上に性器やももを銃で撃たれていた。その後も、やけどを負わされたり、薬品をかけられたりした女性が次々とやって来た。

 実はこの病院も前年、別の場所にあった時に襲撃されて患者35人が殺され、ここに移ってきた経緯があった。

 「ここで起きているレイプは暴力というだけでなく、一種の作戦。女性を犠牲にすることで村人に恐怖を与え、家や畑、そこで取れる資源などすべてを捨てて逃げ出すように仕向けているのだ」。氏は英BBCにそう語っている。(以下略)=2018/10/13付 西日本新聞朝刊」

 

人間残酷にもなれるのだ。

  

 

 

 


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戦争の雰囲気 [平和を]

 

 

「いわせて、もらお」(2019119日朝日新聞)にこんなものがありました。

 

「〇回収します

「不用になった着物や貴金属はありませんか?」というしつこい電話に、「うちの夫はどうかしらっ・」と尋ねてみ た。「まだまだ使えますよ」と言われ、いい雰囲気で撃退できた。

(川崎市・遠慮しなくてもいいのに・70)

 

先の戦争の話です。真珠湾攻撃は不意打ちだが雰囲気はあったという。今の時代はどうでしょうか。

 

「そうこうしているうちに、昭和十六年十二月八日、真珠湾攻撃となるわけです。俺は阿佐ヶ谷の叔父の家に下宿して、そこから東大に通っていた時だった。(略)

不意打ちなんていうのはうそです。もちろん狙いは不意打ちなんですよ。でも実のところは不意打ちなんかじゃない。なんとなくわかっている雰囲気の中で、 戦争が開かれた、ということなんですね。

いまの空気に似ている、と思いますか。 いまの空気を、「やだなあ」と思いますか。どんなときに思いますか。 わかりますか。ええ。感じるでしょう。戦争っていうのはそういもんだね。私なんかもそう思う。これから始まることのような気さえする。」(「金子兜太 私が俳句だ」)

 


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「戦中の生活難の石碑」 [平和を]

 

 

石柱の昭和19年10月は私が生れた翌月です。多分、父が35歳ぐらいで召集された時期と重なります。

 

「コラム 風車  戦中の生活難の石碑

昔ながらの綿入れが 欠かせない季節になると、会いに行きたくなる石碑がある。小さな拝殿に上る石段の前にしめ縄を掛ける対の石柱の、向かって右に「老僕 要綿切」、左に「荒村寅炭難」と刻まれている。 「老人の私には切に(寒さを凌ぐ) 綿が必要だ。村は荒れて(暖を取る) 炭を買うにも難儀している」という意味だろう。神社の石柱には似合わないグチめいた文言だが、裏面の建立年月を見ると「昭和十九年十月建竹永常吉」と明記してある。

太平洋戦争も末期、戦況は急速に傾き、日本国民すべてが貧乏生活をしいられていた。食糧・衣料はじめあらゆる物資が不足がちの配給で、不自由を口にしようものなら非国民呼ばわりされた。そんな時世に、綿入れが欲しい、木炭が足りないという生活苦の石綿を神社の脱内に建てるのは、当時の政治に対する公然たる抗議ではなかったか。(略)

福岡市南区屋形原二丁目、外環状道路から入り込んだ小高い丘に鎮座している佐谷神社に、正月に綿入れを着てお参りした(竹若丸)」(2019111日西日本新聞)

 

グーグルマップで検索するとこじんまりとした神社ですが、当時の政治に対する抗議だったか。それで同じ新聞の投書に「飽食の時代にクジラが必要か」という意味のことを思い出しました。クジラがなければやっていけないとは思えませんが、どういうことでしょうか。

投書ではクジラの保護も大切ではないかという。同感です。

 


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忘れていた人の名前が [平和を]

 

サッセンという生涯スポーツをテレビで紹介していました。団体のホームページでは次のように説明していました。

 

「誕生したのは北九州にある空手道場

新スポーツ”サッセン”は、北九州市を中心に、幼児から社会人まで約100人に空手、武術、古武術、礼儀作法を指導している風林火山武術道場(本部・八幡東区)で生まれました。道場の信念として、怪我をさせず、楽しく空手を学ぶことを目的としています。

そんな道場の護身術の一環として取り組まれていたの

が、年齢に関係なく全ての人が健康に、笑顔になれるサッセンでした。

「人を傷つけず、怪我をさせない武術」を望み、追及し、生まれた競技です。」

年寄りにも向いているかもと思ったので参考までに。

 

話は変わりますが、一ノ瀬泰造さんの名前を久しぶりに見ました。

 

「コラム 風向計 「泰ちゃん」の母、逝く デジタル編集チーム 田代 芳樹

 「地雷を踏んだらサヨウナラ」-。1973年11月、26歳の誕生日を迎えたばかりの若者は、こう友人に書き残して内戦中のカンボジア、アンコールワットに向かった。

 そして消息を絶ち、後に死亡が確認された。佐賀県武雄市出身の報道カメラマン、故一ノ瀬泰造さんのことだ。

 泰造さんの遺品のフィルム保存などに努めた母親の信子さんが今月3日、96歳で亡くなったと知った。

 今から11年前になる。泰造さんの生誕60周年を記念した写真展が、誕生日の11月1日から古里の武雄市で開かれた。その際、信子さんに話を聞く機会があった。

 「泰ちゃん、元気でいますか? あの腕白坊主(わんぱくぼうず)だったあなたが今年 還暦を迎えるなんて夢のようです。 おめでとう! 母」

 写真展のポスターには、信子さんがあふれる思いを込めて息子に贈った言葉が書き添えられていた。「私の中では時間は止まったまま。26歳の泰造しか思い浮かばない」と語った姿を思い出す。(略)

 戦地取材を巡り非難めいた「自己責任」論が声高に叫ばれる昨今。信子さんは泉下で26歳のままの泰造さんと、どんな話をしているだろうか。 =2018/12/25付 西日本新聞朝刊」

 

報道の自由度世界70位代の日本で自己責任論とはなんたる堕落なのか。力あるものが隠している事実を誰かが知らさなければ・・・。

 

  


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言いなりで良いのか [平和を]

 

 

驚くほどの大盤振る舞いです。

 

「永田健の時代ななめ読み 気前が良過ぎませんか

 何と景気のいい話であろうか。いや、マグロの初競りの話題ではない。政府が昨年末に発表した新防衛大綱と中期防衛力整備計画(中期防)のことである。

 政府は米国製の最新鋭ステルス戦闘機F35を現行の42機体制から147機体制にするという。新たに105機買い足すことになる。F35の値段は1機116億円。つまり総額約1兆2千億円のお買い物なのだ。1兆円ですよ、1兆円。

 中期防に盛り込まれた米国製高額兵器はこれだけではない。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」は1基1224億円。2基導入なので2448億円なり、である。

 日本政府はこうした最新兵器を主に米国の対外有償軍事援助(FMS)という制度で購入している。この制度だと値切りにくく「言い値で買わされる」傾向があるという。FMSによる兵器購入は、2019年度予算案で7013億円に上る。5年前に比べて3・7倍の急増ぶりである。(以下略)(特別論説委員)=2019/01/13付 西日本新聞朝刊=」

 

 これが問題にならない国会なのが心配です。専守防衛が国是のはずなのに・・・。

  


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「親衛隊」 [平和を]

 

 

「コラム デスク日記

 昨年末に亡くなった参院議員、鴻池祥肇さんは麻生太郎副総理の側近。麻生政権で官房副長官だった際、何度も取材した。自民党離党者を「カエルが飛び出してへそ見せてるだけ」、党長老を「賞味期限切れの缶詰」と言いたい放題。時に調子に乗って差別的な発言をするのには閉口したが、居酒屋好きを公言し、なぜか憎めない人だった。

 麻生氏とは若い頃からの付き合いだった。意外だったのは、親密ながらも支える立場から客観的に見ようとしていたこと。「資産家だから、喉が渇いた経験がない。喉が渇いた人の気持ちが分からないのが欠点」などと遠慮なく、本人にも直言していた。

 在任7年目に入った安倍晋三首相。「親衛隊」と呼ばれる側近たちや、一部論壇の「安倍愛」とも言いたくなる礼賛ぶりが気になる。心酔することと、無条件で褒めたたえることは違うはず。漫談のようでいて本質を突く鴻池節が懐かしい。(相本康一)=2019/01/05付 西日本新聞朝刊=」

 

  「親衛隊」には独裁者の雰囲気があります。社会主義を独裁と批判した人たちもいましたが・・・。

 


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宇宙にも敵がいるのか [平和を]

 

 

「シン・ゴジラ」のテレビ放送の案内でインタビューに答えた男性は「自衛隊が好きで、その活躍が見られるのがいい」という意味の発言をしていました。それは災害支援で活躍する姿がいいから、憲法9条に自衛隊を明記してもいいと話と似ています。

 先の戦争の発端となった日中戦争が始まった1937年の様子にも次のような記述があります。

 

「勇壮な武勇伝とは異質な「国民生活への戦争の影響」

当時の暮らしぶりを記録していたのが、婦人運動家としても知られる山川菊栄の寄稿「消費統制と婦人」でした。山川はまず日露戦争の頃に見た漫画(戦地帰りの兵隊が、ロシアでの手柄話を野良帰りの人々に自慢げに語る絵柄)について触れたあと、こう続けます。(略)

ところが今、打ち続く大勝の吉報の中で、着る物、食べる物が不自由になっていくに従い、宮本武蔵、荒木又右門の武勇伝としてでなく、毎日作るおみをつけ(味噌汁)の実や、肌着やおしめの布地の問題としての戦争が、初めて国民の前に現れてきた。昭和六年(一九三一年)頃、一枚五十銭で買った綿メリヤスのシャツが、昨年あたりは七十銭、この秋は一円になってしまった。これが今の世の戦争だったのである」

 南京入城式の報道をはじめ、これまで多数引用してきた朝日新聞の記事にも、七月十一日夜の近衛首相 とメディア各社幹部の懇談会の後は、山川の言う「宮本武蔵や荒木又右衛門の武勇伝」的な、あるいは 「悪人亡びて善人栄える」「壮絶快絶な真剣勝負」を勇壮に描き出すものが数多くありました。けれども、 こうした山川の問題意識は、彼女が文中で紹介したような武勇伝を好む軍人をはじめ、大義のために戦う 男の勇敢さが美徳とされていた当時の日本人男性には、ほとんど共有されていなかった模様です。」(『1937年の日本人』)

 

今、「敵」の戦力整備に対応するためとしてアメリカからの大量の兵器の購入をするなど軍事費の膨張があり、宇宙の防衛戦争も想定されるという。際限なく増え続ける仕組み。

 

 


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節度なく稼ぐ [平和を]

 

 

「F35B、20機新規導入検討 空母化へ防衛大綱明記で調整

  20181129日東京新聞

政府は、空母による運用が可能な最新鋭ステルス戦闘機「F35B」を新たに導入する検討に入った。年末に策定する防衛力整備の指針「防衛計画の大綱」に明記する方向で調整している。短距離で離陸し、垂直に着陸できるのが特徴。海上自衛隊の護衛艦「いずも」改修を念頭に、事実上の空母化に乗り出す方針を踏まえ、艦搭載機も考える必要があると判断した。20機程度の調達を目指す。複数の政府筋が28日、明らかにした。

   空母化に加え、艦載機を検討することで専守防衛を逸脱するとの懸念が一層強まりかねない。(以下略)」

      

陸上型イージスなどに加えステルス戦闘機「F35B」・護衛艦を空母化するという。危機を煽り、「死の商人」の思惑にさらされ、社会保障費などの削減圧力になっているのではないか。

 

1937年の日中戦争でも似たような光景があったという。

 

「南京陥落景気」に期待した百貨店と小売店

百貨店の年末商戦と戦争による景気の後退

日本人にとって波乱に富んだ一九三七年も、いよいよ最後の月を迎えました。 一時膠着状態にあった日中戦争の戦況は、上海方面における中国軍の全面退却で日本軍の優勢へと傾き、 十二月一日付大朝朝刊一面は、「広徳城もたちまち占領」「南京包囲の態勢成る」「いよいよ迫る首都最後 の日」という見出しと共に、日本軍部隊の進撃が順調に進んでいることを報じました。 広徳城とは、南京の南東にある高地の街で、日本軍の各部隊は上海と杭州湾の二方向から、揚子江の湾曲部にある南京を目指して、休みなく前進していました。 この日の大朝朝刊には、師走のお歳暮需要を当て込んだ百貨店広告がいくつも掲載されていました。」(『1937年の日本人』)

 


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平和な国を願った人 [平和を]

 

 

菅原文太さん、井上ひさしさんという人がいたことを誇りにしたい。

 

「コラム  春秋

  一昨日の小欄で、菅原文子さんが「月刊『本の窓』(小学館)の最新11月号に初めてエッセーを寄せた」とあるのは、同誌に「連載中のエッセーの中で書いた」の誤りでした。おわびして訂正します

▼文子さんの夫で俳優の故菅原文太さんが仙台一高時代に新聞部に在籍し、部の1年後輩に作家の故井上ひさしさんがいた、と小欄で書いた。この部分を興味深く読んだという声も頂いた。2人のことをもう少し書いてみたい

▼井上さんが「仙台一高ではいい先輩に恵まれました」と懐かしがれば、菅原さんは「部室がちゃんとあったクラブは少なく、新聞部は文科系クラブのたまり場だったなあ」と返す。そんな先輩後輩だった

▼「井上ひさし対談集『物語と夢』」(岩波書店、1999年)から紹介している。話は弾む。小さい頃から宮沢賢治ばかり読んでいたという井上さんに、菅原さんは「僕は賢治より啄木。いまだにそうだね」

▼菅原さんは後輩の小説「吉里吉里人」を映画化したかった。話を持ち掛けたが「先輩に損はさせられません」と後輩は答えた。自分の小説の取りえはアイデアと細部、言葉の面白さにあり「ストーリーだけ取り出すと平凡な話にしかならないのです」

▼憲法や沖縄の問題などで国の形を考えた菅原さんの晩年は、「吉里吉里人」を映画にしたかった頃とつながっているのだろう。雲の上で今も話の続きをしているかもしれない。 =2018/11/13付 西日本新聞朝刊=」

  

 ゴーン氏の話はまだ続きがありそうですが、政治も、経済界も、忖度社会なのか。なんともやりきれない。

 

 


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