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戦が少ない国で [平和を]

 

 

近代を除くと3回しか戦争をしていないし、戦場が国外だったという。内戦も少ない国だという。

 

「戦争を(ほとんど)しなかった国

これまで前近代の日本の対外戦争を概観してきた。もう一度くりかえすが、前近代の日 本、および倭国は、外国勢力の侵攻を撃退したものを除くと、対外戦争の経験はきわめて少なかったのである。海外で実際に戦争をおこなった例は、五世紀の対高句麗戦、七世紀の 白村江の戦、十六世紀の豊臣秀吉の朝鮮侵攻の三回しかないし、特に中国と戦争した経験は、白村江の戦と秀吉の朝鮮侵攻だけである。しかも、いずれも戦場は朝鮮半島であって、中国本土に攻め入った事例はない(近代の日清戦争や日露戦争も、朝鮮問題をめぐって戦われ、朝鮮半島を主要な戦場の一つとしていた)

ついでに言うと、日本は内戦もきわめて少なく、その規模も中国やヨーロッパ、イスラム社会と比較すると小さなものであった。古代最大の内戦であった壬申の乱も、動員された兵力は『日本書紀』が語るような大規模なものでは、なかったはずである」(「戦争の古代史」)

 

近代になって増えている戦争。それは経済の影響なのか。多くの時代を平和な国として過ごしています。それが続きますように。


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日本以外の戦場も [平和を]

 

 

ペリリュー島のことは戦場として知られていることを読んだ記憶がありました、「慰霊の旅」で強く印象に残りました。

 

「(声)若い世代 「慰霊の旅」影響力に驚いた 12歳 2018810日朝日新聞

 僕は太平洋の島国、パラオ共和国に6年間住んでいました。そのパラオのペリリュー島は第2次世界大戦時、日本とアメリカの激戦の舞台となっていました。持久戦の末、日本は負けました。僕は何度かペリリュー島へ行きましたが、そこには壊れた戦車や洞窟などがあり、僕は日本軍はこんな戦車で戦っていたのだ、と思いました。日本以外の場所にも戦争の被害があると、日本人に知ってもらいたいと思いました。

 そして3年前、天皇陛下と皇后陛下が慰霊のためにパラオへいらっしゃいました。僕は空港でお出迎えをしました。その時、天皇陛下や皇后陛下みたいに偉くて世界に影響がある人が来てくれれば、世界がパラオのことを知って、ペリリュー島に来て、平和の大切さを実感してもらえると思いました。」

 

中国・韓国や東南アジアなどの戦場のことはよくは知りませんね。


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戦時国債とは [平和を]

 

 

昔、職場で国債の話になった。年配の同僚が「紙切れになる」と言い切りました。それが戦時国債だったようです。

 

「(声)戦時国債、結婚資金のはずが… 86歳 201896日朝日新聞

 政府の借金財政が問題になる中、約60年前の出来事を思い出した。婚約した私に母が「お前が結婚する時のためにお父さんが残してくれた国債だよ」と、銀行で換金したお金を手渡してくれた。1500円ほどだった。

 亡父は、行政に何の疑問も抱かず忠実に生きていた。大政翼賛会の下に置かれた隣組の組長を務め、消防訓練を命じられれば先頭に立ち、各戸に防空壕(ごう)をつくれと命令されれば率先して床下に壕をつくった。鉄や銅の供給を求められれば集めて献じた。

 翼賛会から、戦費調達のため戦時国債を買えと要請された時、国策に沿うのが国民の義務と素直に応じたに違いない。いずれ娘が結婚する時償還してもらって使えるとの親心も働き、大枚をはたいて購入したことは想像に難くない。

 日本が負けることはあり得ないと思い込まされていたから、疑問も躊躇(ちゅうちょ)もなく、なけなしのお金を国債に投じたのだろう。国家を信じ、国家を愛し、国策に協力しての結果が、注文ワイシャツ1枚分ほどの金額で娘に渡されるとは、思いもよらなかったろう。」

 

善良な国民を戦場に動員し、紙きれでお金を集め、なんのための戦争だったのか。


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餓島だけでなく [平和を]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「即席ラーメン 戦地にあれば  97歳 

  825日は「ラーメン記念日」という。この日、 私が通所している施設で 職員さんからラーメンに ついて、いろいろ話があった。 今は全国各地に名物ラーメンがあるが、戦後開発された即席の乾麺がもう少し早くできていたらと思う。米のように重くなく、 米や乾パンのように湿気でかびがはえることもない。 お湯さえ沸かせばすぐに 食べられる。兵士の携行食として大量に前線に送ることができれば、多くの若者 が死ぬことはなかったのではないかと思う。激戦のあったガダルカナル島は、餓島と呼ばれるほど食べるものがなく、多くの人が餓死した。ビルマでも従軍看護婦さんたちが倒れ、転進中の兵士に食を求めた。しかし、兵士そのものがやっと歩いているほど。どうすることもできなかったという話を聞いた。私の戦友も空腹で倒れたが、どうすることもできず、置き去りにしてしまった。食があれば元気に祖国に帰ることができた人も多かったはずだ。遠い異国の地に今も眠っている人たちのことを思った。」(201895日西日本新聞)

 

ガダルカナル島だけでなく、戦死者の内訳で一番多いのが餓死だという。無謀な戦争に二度と足を踏み入れないようにしてもらいたい。


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国際機関のルールは [平和を]

 

 

米中関係のことなど庶民とは関わりがないと思っていましたが、戦争の危険性はないのかという指摘があれば、考えなくてはと思っても知恵も浮かばず、心配するしかないのでしょうか。

 

「永田健の 時代ななめ読み 米中は「わな」にはまるか

 ここ数年、国際政治の研究者の間でよく使われる用語に「トゥキディデスの罠(わな)」というのがある。

 トゥキディデスは古代ギリシャの歴史家だ。都市国家アテネとスパルタが戦ったペロポネソス戦争(紀元前431~同404年)を研究し「戦史」を著した。

 その中で見いだした「既存の大国と台頭する新興大国は衝突する」とする法則を、彼の名を冠し「トゥキディデスのわな」と呼ぶ。

 この言葉が今しばしば使われるのは、これからの米国と中国の関係を「新旧大国の衝突」の理論で予測しようとするからだ。

 そして米国と中国がもし「わな」にはまれば、戦争に発展する可能性は意外なほど高そうなのだ。()

 日本の安全保障の研究機関に尋ねた。中国軍事分析の専門家は「核兵器の存在という要因があるので、トゥキディデスのような歴史的原則を現在の米中に当てはめるのは、やや無理だと思う」と語る。つまり「核戦争の恐怖から双方が自制するはず」というシナリオだ。しかし、これも核抑止論に寄り掛かり過ぎているようで、心配性の私はそれほど安心できなかった。

 米中関係がどうなるか。これが21世紀における世界最大の不安要因である。うまく落ち着きどころを見つければいいが、軍事衝突ともなれば、日本に多大な被害が及ぶのは避けられない。米中両国が相互不信で「わな」に陥らないよう、日本として何をできるか。真剣に考えた方がいい。 (論説副委員長)=2018/09/02付 西日本新聞朝刊=」

  

 

 


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ひとつの存在感 [平和を]

 

 

安室さんの写真展が開かれているという。多くの人に支持されてきた人の決断は影響が大きかったのでしょう。

 

「コラム 風向計  安室さん 追悼の「遺志」 大牟田支局長 吉田 賢治

 9月16日に引退する歌手の安室奈美恵さんが、前日の15日に沖縄県で開かれる音楽ライブに出演する。デビューから26年、ファッションや生き方でも若者を引きつけてきた歌姫にとって、これが最後のステージになるとみられる。

 2000年の九州・沖縄サミットでは、日本代表アーティストとして各国首脳の前で歌い、県民の誇りでもあった安室さん。今月8日に亡くなった沖縄知事、翁長雄志(おながたけし)氏の訃報に接し、自身のホームページに追悼の言葉を掲げた。

 5月に県民栄誉賞を受けた際のことに触れ「今思えばあの時も、体調が優れなかったにも関わらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました」と感謝し、「沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」とつづった。

 この追悼文を巡り、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で翁長氏が率いた県と対立関係にある、政府や与党が神経質になっていると、一部のメディアが伝えている。

(略)

 自民党は総裁選(9月20日)直後の大型選挙であり、新総裁の下、絶対に負けられない事情もある。私が那覇支局に勤務していた当時の知人に尋ねると、各政党の「県内基礎票」から分析すれば佐喜真氏が優勢という。ただ、玉城氏との一騎打ちなら「翁長さんが沖縄人として唱えた『イデオロギーよりアイデンティティー』の追求が鮮明になる可能性もある。選挙戦がどう動くか分からない」と話す。

 安室さんは、ステージ上でもほとんど語ることはなく、歌とダンスで自分を表現してきたアーティストとして知られる。知事選に直接言及するとは思えない。政府や与党が敏感になるべきは、そんな目先のことではないはずだ。=2018/08/29付 西日本新聞朝刊=」

  

 安室さんは翁長氏に礼を尽くしているのではないか。争点をずらしてまで勝利にこだわる与党の姿勢が問われているのだと思うが。


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「挙国一致」に雪崩をうって [平和を]

 

 

戦争の背景を知ることは大切だと。平凡な日々が一挙に戦時体制になっていくことを先の戦争で経験しています。

 

「(声)戦争に突入した背景学び直そう 75歳 2018822日朝日新聞

 8月15日の終戦記念日、各地の平和式典などを伝える新聞やテレビで、「不戦の誓い」という言葉が語られました。そんな中、日本は専守防衛と言いながら着々と「兵器」をそろえ、軍隊と言えるものを組織し、もしも戦争になった場合の準備をしているように思えます。

 多くの国民が「戦争はしてはならない」と思いながら、だんだん戦争に引き込まれていった過去を知っていながら、このような状況を見過ごしているのです。

 昭和初期から、どのような環境下で国民が戦争に引き込まれていったかを、私たちはもう一度勉強する必要があるのではないでしょうか。本音の部分で「戦争はいやだ」と思っていた国民も多くいただろうに、いつの間にか「戦況のよいことを喜ぶ」ようになってしまいました。どんな政策によって国民が戦争に勝つことを喜び、国全体が戦争に突き進んでいったのでしょう。

 戦争の悲惨さを語るのも大切です。でも同じ過ちを繰り返さないためには、戦争に突入していった当時の状況を知り、今の政治状況と突き合わせて考えてみることが大切だと思います。」

 

最近読んで本では「1937年の日本人」です。1937年は盧溝橋事件が7月にあり、1945年の敗戦まで戦時体制が続きます。1937年の正月の新聞などは戦争の気配もなかったという。ところがあっと言う間に挙国一致になったという。

 

「中国と共通の敵の出現で実現した『真の挙国一致』

七月二十三日付の大朝夕刊一面は、この日に帝国議事堂でなされた第七十一特別議会の召集をトップで報じました。「召集日二十三日の衆議院は、正副議長選挙のため午前十時三十八分、本会議場に入り、北支事変をめぐる非常時気分を反映して議席はほとんど空席なく、敵も味方もない挙国一致の雰囲気に包まれている」

この文章が物語るように、一九三七年六月まではあれほど仲の悪かった内閣と政党、軍部と政党の関係 は、中国という「共通の敵」が現れたことで、一挙に好転しました。 言い替えれば、日本軍と中国軍の紛争は、多数派政党以外の人間が内閣を作る状況を言い表す、便宜上 政治用語としての「挙国一致(内閣)」ではなく、内閣・政党・軍部・財界・メディア・国民が「共通の敵」への勝利に向けて結束するという。より本来の語義に即した形での「挙国一致」を実現させる効果をもたらしていたのです」(「1937年の日本人」)

 


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おなかを満たすために [平和を]

 

 

「女性投稿欄 紅皿 おなかを満たせば

3の息子が大変な反抗期を迎えた。子育てにこんな大きな困難が待っていたとは思いもよらなかった。口をきいでくれないので、反抗なのかさえ実は分からない。息子の異変に気付いていながらも何の力にもなれない。「母親失格」。 何がいけなかったのか、自問自答しても、自分 の子育ての反省点しか思い出せなくて沈んでいた。 でも、自信を持って一つだけ言える。516日付紅皿「心に染みた言葉」を読んで思い出した。そこにあった言葉「子どもはとにかく腹いっぱい食べさせとけば悪くならん」。そう、食事には私なりの愛情を注いできた。毎日家族の顔を思い浮かべながら何を食べさせようか頭をひねってきた。それはおなかも気持ちも満足するように。他では至らない点が多いが、私の子育ての術は食事に詰め込んである。(以下略) (会社員・43歳 福岡市南区)」(201866日西日本新聞)

 

 思うようにならぬから人生なのかもしれません。腹いっぱい食べられることは平和な日々の証かもしれません。でも、それで解決しないでしょうが、その瞬間を感じ取ってみたい。現代詩が忘れたことなのかどうか、現代詩を読んでいるとは言えませんので、なんとなくわかるような気がしますが、読者層が狭いことなどの要因なのでしょうか。

 

「風車 現代詩が忘れたこと

福岡県朝倉郡筑前町の身体障害者支援施設・菊池園から昨年秋に出された「菊池園詩集」を読む機会を頂いた。1983 年から続く詩サークルが、20年ぶりに出したものだ。入園者13人担当職員と詩指導者の2人も加わった合同詩集である。(略)

そのなかから1篇、藤本進「わが子の温もり」を紹介しよう。「我が子を直接布団から/右手

1本で抱き上げました/それも生後二か月で/(首がすわる前)/その子の温もりが/ いまだに右手に残っています/これだけは/生涯忘れないでしょう」 作者は予め「皆に話しても信 用」して貰えないだろうと断る。いや、月1回のサークルで職員によって朗読発表されたとき、深い感動を 呼んだのではないか。言葉の原初の輝きが、普遍的な共感をもたらす力 が、ここにはある。 同様のことを、寮美千子は奈良少年刑務所での体験で述べている。「うまいへたもない。『詩』のつもりで書いた言葉がそこに存在し、それをみんなで共有する『場』を持つだけで、それは本物の『詩』になり、深い交流が生まれるのだ(新潮文庫「空が青いから白をえらんだのです」)。現代詩が忘れた大切なことだ。(スカラベサクレ)」(同前)

 

 


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第2次世界大戦の記録 [平和を]

 

 

 

「ニュース川柳

・戦わず禅譲待つも先は闇

・忖度し誰かをかばい左遷され

・丑の日も出る幕なかった粉山椒

・承認の撤回最後の賭けに出る 」(201883日西日本新聞)

 

8月にふさわしい話題からです。

 

「地方紙記者が戦争語る

ヤフーは2日、第2次世界大戦の記録を100年後に残すプロジェクトの一環で、地方紙の戦争報道をテ一マにしたトークショーを東京都内で開いた。琉球新報の玉城江梨子記者(39)は 戦争の悲惨さはずっと続くことを伝えなくてはいけない」と呼び掛けた。 ヤフーと琉球新報は3分程度で沖縄戦を伝える動画をそれぞれのウェブサイトで提供している。福岡大空襲の企画を担当した西日本新聞の福間慎一記者(41)は「空襲当時の紙面は正確なことを伝えていなかった。報道機関が空気を醸成する怖さを感じた」と述べた。会場には約80人が集まった。」(同前)

 

福岡大空襲も取り上げられていました。https://wararchive.yahoo.co.jp/

貴重な活動だと思います。

 

 


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平和の中の戦争 [平和を]

 

 

1937年の7月。日中戦争のきっかけとなった盧溝橋事件があり、1945年の敗戦までの戦争の時代となります。ところが1937年の元旦の新聞広告は平和ものだったという。

 

「元日の朝日新聞掲載広告が物語る平和な消費社会

一九三七年(昭和十二年)元日の大朝朝刊一面には、富士山のイラストと天皇・皇后・皇太王町阿部明 仁親王(今の天皇)などの写真があしらわれ、「輝く昭和第十二春」という大見出しが添えられていました。

二面に掲載された社説「昭和十二年を迎ふ」の書き出しは「年は往き、年はまた立ち還りても、依然と して非常時であることに変わりはない。時の進むにつれ、かえっていよいよ急調に、ますます緊迫の度を 加速しつつあるようである」というもので、日本国内の状況と国際関係の悪化に注意を促し、国民に「非常時への覚悟」を求める内容でした。 「その地位に応じ、分に従い、各自の持ち場持ち場において、誠心誠意、君国(天皇と国家)のために、 直接間接に、最善を尽くすことである。(中略)これには戦場も、職場も、議場も、官署も、学園も、家庭も変わりはなく、ここに忠君(天皇への忠義)あり、愛国あり、業務の繁栄あり、文化の進展あり、議会の明朗あり、官綱紀の振粛あり、行政の純化あり、社会の協調あり、家庭の和合あり」しかし、元日の大明明刊に掲哉されている広告を見ると、そうした『非常時』の危機感とは煽る言葉とは裏腹に、平和な社会を思わせる内容で占められていました」

(「1937年の日本人」)

 

底流には戦争の危機が進行していたのかもしれませんし、7月に表面化したのではないかと推測できます。反面、一挙に戦時体制に巻き込まれる危機感もあったのではないかと。


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