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プルトニウムへの懸念は [原発]

 

 

7月3日の新聞は次のように伝えています。

「プルトニウムの削減明記、基本計画を閣議決定 7/3() 読売新聞 ヤフーニュース

 政府は3日、新たなエネルギー基本計画を閣議決定した。4年ぶりの改定で、原子力発電所の使用済み核燃料を再処理して出るプルトニウムについて、「保有量の削減に取り組む」と初めて明記した。核兵器に転用可能なプルトニウムの保有量の増加に対する国内外の懸念を払拭(ふっしょく)する狙いだ。(以下略)」

ところが テレビニュースでは「アメリカの懸念に配慮した削減計画」としたとのみ伝えたところがありました。何が懸念されるかと伝えません。何のことが分かりません。脱原発に踏み切らないのはプルトニウムを保有しておきたいという意図があると大臣経験者が述べた記憶があります。脱原発に踏み切らないのは・・・・。廃炉も大事ですが・・・。

 

「東日本大震災、福島第1原発事故とは何だったのか

「災後」の社会に地殻変動的な変化は生じたか

長い時間の中で事故を見詰める覚悟を

吉見俊哉

5年前、社会時評の執筆を始めたとき、私が出発点としたのは東日本大震災から2年後の日本だった。当時、格納容器に溶け落ちた核燃料を冷やす水が高濃度汚染水となり増え続け、放射能の除染作業も先の見えない状態だった。ところが人々の関心はアベノミクスの経済効果に向かい、原発事故への関心は薄まりつつあった。私には、この感覚麻痺が半世紀前、反核のうねりが経済成長やオリンピックへの期待にのみ込まれていった時代に重なると感

じられた。本欄の執筆を終えるに際し、もう一度、出発点に立ち返りたい。東日本大震災、そして福島第1原発事故とは何だったのか。この出来事の教訓は何か。震災後の歴史を「災後」と呼ぶことができるなら、それは敗戦後の「戦後」と何が異なるのか。変化はまだ表にはっきり表れてはいない。震災後、農漁業は徐々に復活し、道路や街並みの整備も進んだ。工程表通りに作業を進めるのは日本の得意技だから、工事は着実に進む。他方、仮設住宅住まいの人は残り、家族を失った人の心の傷も癒えない。被曝で住民避難が長引いた地域で は、野生動物が過剰繁殖し、 人間が自然からの逆襲を受けている。 これらはしかし、表面上 の推移である。震災を期に、 この社会に地殻変動的な変化は生じたのか。 一方で、「生じていない」 証拠はいくつもある。震災前に回帰すべく原発再稼働に向けた政策が打たれ、地方が国の公共事業に依存する体制も変化がない。東京オリンピックをめぐる問題の続出は、私たちが1964年的価値観から抜け出せていないことを露呈させた。沖縄問題、近隣諸国との関係、日米関係のいずれでも、日本が世界に向ける姿勢に変化がない。歴史の慣性が保たれている。すると、震災後の日本の姿から出発した本欄は、何も変化がないことを5年間、検証し続けてきたのか。 それも単純すぎる理解だ。変化は生じていないわけではないのだ。見えないところで生じてきたと言うべきかもしれない。(略)

実は、今ほど私たちに未来への信頼できるヴィジョンが必要なときはないのである。それには一時的な「夢」の心地よさに酔うのではなく、長い時間の中で自己を見つめる覚悟が必要だ。私はこれまで、震災・原発事故の記録を統合する記憶庫の創設を訴えてきた。記憶庫を通じて過去と正面から向きあうことが、社会が陥りがちな健忘症の治療薬となる。その記憶庫か向けられる先は、半世紀以上先の未来である。その 頃までにどのような「豊かな」社会を実現していくべきなのか、しっかりとした ヴィジョンがなければ廃炉作業一つ、脱原発一つできないではないか。(ハ一パード大客員教授)」(2018317日西日本新聞)

 

 

 


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