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感動したこと [平和を]

 

 

鈍感な私には感動が少ない生活をしていますが、次の投書の方と同じような感動をもらいました。

 

「(声)詩「生きる」を音読、心に響いた 54歳 201873日朝日新聞

 6月23日の沖縄全戦没者追悼式。私は毎年この式で朗読される児童・生徒の「平和の詩」が好きだ。今年は中学3年の相良倫子さんが「生きる」を読み上げた。自作の6分半の長い詩を力強く暗唱、先人たちに不戦を誓った。言葉の抑揚、そして何より内容が素晴らしかった。

〈私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さない〉という決意。幼い頃から「戦争は人を鬼に変える。絶対にしてはいけない」と曽祖母に体験談を聞かされてきたそうだ。いろんな複雑な思いがあるだろうに、よく話してくださった。

 私も相良さんの詩の全文を音読してみた。とっても気持ちがよかった。私も今までと変わらず故郷を愛し、静かに過去を見つめ、平和を祈り、未来へ生きていきたい。相良さんの平和を守る、という揺るぎない意思を持った頼もしい若者が一人でも増えることを心から願う。(以下略)」

 

この若者はどうしてこのような精神を育むことができたのでしょうか。体験を聞いたことも大きいのではないでしょうか。

 新聞の戦争体験投稿欄からです。

 

「床下の防空壕 入れず命拾い  84

194588日の八幡大空襲。国民学校6年生 の私は午前10時ごろの空襲警報で母、2人の妹とともに近くの半地下式の防空壕 に逃げ込んだ。その直後、 ものすごい音とともに煙が壕以の中に入ってきた。妹2 人は煙にむせんで泣き叫 び、もう死ぬかと思った。 しかし幸運にも助かった。 前年の820日の空襲で は、わが家の床下の防空壕 にいた。八幡製鉄所が攻撃 目標だったので、爆弾の落 下のものすごい音は恐怖だったが無事だった。 翌年の市街地の空襲で、わが家の防空壕に入っていたら間違いなく今は亡い。近所の人たちや、前日まで遊んでいた友達など家の防空壕に入っていた人は全滅だった。

なぜわが家の防空壕に入らなかったのかと母に聞いた。すると、先祖が残している大切なものを多く入れていたので私たちが入る場がなかったのだと言う。あれから73年。毎年8

8日の慰霊祭に参加するが、同級生とは一人も会えないという、この不思議な体験。これが戦争というものだろうか。」(2018629日西日本新聞)

 


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