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不倫騒動にも飽きた? [寛容なき社会]

 

 

「仲畑流・万能川柳  毎日新聞2017917日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

「わからん」と云う本物の専門家 相模原 水野タケシ

原っぱは無いが空き地は有る都会 武蔵野 竹とんぼ

うるせえな買えぬ億ション建てる 東京 ホヤ栄一  (以下略)」

 

家にいて昼時のテレビのくだらなさはなんとかならないか。最近は不倫の話が多い。加計学園問題は立ち消えして支持率回復しています。

 

「(声)不倫になぜ首を突っ込むの?2017917日 高校生16歳 朝日新聞

 

 芸能人の不倫のニュースを見るたびに、いつも疑問に思うことがあります。「税金を使っていた」などと、国民に迷惑をかけているのならわかりますが、誰にも迷惑をかけていないのに、ただ芸能人をおとしめるためだけに報道するのはどうなのでしょうか。

 もし、私の母か父が不倫をしていて、友達や周りの人などに知られていたら、ショックなうえ、次の日からどうやって顔を合わせて良いのかわからず、家に引きこもってしまうと思います。

 確かに不倫は良くないことだと思います。しかし、それはその人とその人の家族と、不倫相手の問題であって、私たちが首を突っ込むことではないと思います。私はこう考えますが、皆さんはどう考えますか?」


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萎縮するマスコミ [ジャーナリズム]

 

 

官房長官が記者クラブを通じて特定の記者に注意をするなどがあっても、まともに反論できない記者たち。報道の自由度世界70位以下というより、もっとさがっているのではないか。もはや、戦後でなく戦前なのではないかと声も聞かれます。菊竹六鼓はどう見ているのでしょうか。

 

菊竹六鼓没後80

反骨の言論今こそ

立憲政治の危機説く

5.15事件で軍部を批判 

ジャーナリスト菊竹六鼓(1880~ 1937) 福岡日日新聞〈現西日本新聞)の編集局長・主筆を務め、軍人による首相暗殺事件「五・一五事件」 (1932)では敢然と軍部批判の論を張った。きょう21日は没後80年の節目。 国による情報隠し、言論の自由の危うさ、そしてメディ アの姿勢・・・。民主主義の根幹を揺るがしかねない出来事 が重なる中、改めて反骨の言論人の姿を追った。(略)

1999年、六鼓の存在がクローズアップされた。「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀、人権と民主主義を守るため報道の自由に貢献したジャーナリストを顕彰する世界新聞協会の「世界の報道人百人」に選ばれた。これを機に吉井町では郷土史会を同心に勉強会「六鼓を読む会」が始まった。

参加者の高齢化などで勉強会はこの10年、休止状態だが、復活を模索する動きがある。市郷土史会の加藤一昭会長(73)は「改憲論議が高まる今こそ、六鼓の精神を再認識することは有意義」と意気込む。

一方、六鼓の孫で九州大名誉教授の淳一さん(78)=福岡市=は「六鼓の精神がことさら語ら

れるとすれば、平和の大切さがないがしろにされつつある時代の反映かもしれない。そうであるなら、悲しいことです」と複雑な胸中を吐露した。(安達清志)

 

 言葉の力を取り戻す時

西南学院大准教授 田村元彦氏に聞く

六鼓が今なお評価され続けるのは なぜか。現代メディアにも詳しい西 南学院大法学部の田村元彦准教授 (政治学)に聞いた。 (聞き手は川口安子〉

一六鼓をどう評価する。

「『軍部と戦った勇気ある記者』 と個人の武勇伝にしてしまうのは違う。当時、言葉には力があった。中央に対し批判的、相対的に見ること ができる地方紙という立場も大きか ったのだろう。『反骨』はまさに九 州の精神で、六鼓の言論の土台には 反骨精神を持った多くの読者がいた」

一現在の国家権力とマスコミの関係をどう見るか。

(政治部記者が集まる)官房長室の記者会見で、社会部の記者が質問を繰り返したことが話題になるほど、今の記者クラブ制度には権力となれ合いを感じる。相手と関係を 築いて情報をリークしてもらう取材手法が要因の一つだ。だが、権力に近い記者が優秀とされると、言論の初志を失う恐れが高い。情報公開請求 による調査報道の強化など取材手法 を根本的に見直すべきではないか」

一六鼓は何を教えてくれるのか。

 「少なくともあの時代には、言論 を本気で、担う人たちがいたというこ とだ。その一人が六鼓。金も軍事力 もない市民には言葉しかない。言葉の力を取り戻してみんなで考える -。今の時代、必要なことだと思う」」(2017721日西日本新聞)

 


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企業誘致でない視点を [行政]

 

 

 

「子どもの遊びも戦争一色 熊本市で開催の絵本・玩具企画展 [熊本県]

 

 熊本市南区の市立城南図書館で開かれている企画展「絵本・玩具から見た戦争」。約50点の展示資料からは、子どもの遊びや楽しみまで戦意高揚に利用した世相が浮かび上がる。

 資料は宇城市の上村真理子さん(64)が提供。兵庫県の高校に日本史教師として勤めていた1983年ごろ、防毒マスク姿で訓練する女生徒の写真を古い卒業アルバムで見つけ、衝撃を受けた。以来、古書店で戦時中の絵本や教科書など、約5000点を集めてきたという。「なぜここまで戦争一色になったのか、資料から想像してもらえれば」と上村さんは呼び掛ける。 小学6年生向けの「防諜(ぼうちょう)かるた」は、目と耳と口をふさいだ児童の絵に「軍機がもれる」「スパイの餌食」など不穏な言葉が並ぶ。(以下略)=2017/09/06付 西日本新聞朝刊=」

 

企業誘致では解決しない。地域再生を1次産業の再建で軌道に乗せた町があります。

 

「【意見】1次産業再生で地域を元気に 四万十ドラマ社長 畦地 履正氏

高知・四万十町の挑戦

 企業誘致で雇用の場を作ろうとしても簡単ではない。では、過疎高齢化が進む地方の町や村を元気にするのに、重要な視点は何か。田舎の暮らしを長年支えてきた「地元の財産」を再発見することだと思う。私の住む高知県四万十町十和地域では、やはり1次産業の再生しかなかった。そして、この中山間地でもやれる財産を探したら、昔から栽培されてきた、お茶と栗とシイタケだった。

 私が社長を務める株式会社「四万十ドラマ」は、生産者の高齢化などで一時的に廃れていた栗の再生に取り組んだ。その栗を使ってモンブランや渋皮煮などの加工品を開発し、年間6千万円を売り上げる主要商品に育てた。先人の知恵は素晴らしい。気候風土や土地に合う地場産品はどこにでもあるはずだ。埋もれている宝に光を当て、それを磨く。磨き方をちゃんと地域の方がやるのが、田舎らしさ、地域らしさだと思う。

 うちの主力商品である「しまんと緑茶」も発想は同じ。以前は四万十のお茶は静岡茶に混ぜられて販売されていたが、「自分たちのお茶を、自分たちで売りたい」という思いで商品開発した。原料をそのまま出荷していては産業は広がらない。自らの知恵と努力で原料に付加価値を付けて売れば、もうけも雇用も増える。全国的に見ていると、原料提供だけに頼ってきた地域は、高齢化でそれが難しくなる例もあるようだ。逆に、原料提供から脱皮して、国がいう6次産業化や地域商社的な機能を持つ地域が今後伸びてくると思う。

 四万十ドラマは、最後の清流と呼ばれる四万十川の中流域に本社を置く、地域おこしを目的にした会社。300人超の株主は、ほとんどが流域住民だ。(1)地域の財産を柱とした産業育成、雇用の場づくり(2)自然に負担をかけない環境循環ビジネス(3)住民が活躍できる人材育成-を事業の3本柱にしている。社員30人の平均年齢は28歳で、社員の子どもが何人いるか調べたら、赤ちゃんから高校生まで23人もいた。子どもが少ない過疎地域にとって貢献度は大きいと自負している。

 繰り返しになるが、ここ四万十で生きていくには1次産業の活性化しかない。後継者がいないなら作るしかない。それで今春から農業研修制度を始めた。3年間、契約社員として働きながら、栗やお茶など中山間地域の農業技術を身につけてもらう狙いだ。

 もう一つPRをさせてほしい。足元の財産探しから、その磨き方、販路開拓、広報宣伝まで十数年やってきて、それがノウハウになった。それを移転する研修事業も行っている。全国の中山間地を元気にする力になりたい。 (談)=2017/09/15付 西日本新聞朝刊=」

 

全国にはまだ工夫している地域があるようです。首長の言うがままではない街づくりが大切では。

 


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本籍地 [社会]

 

 

産まれたのは福岡市近郊でしたが、1歳未満で田舎に転居していますので、そこを本籍地にしていました。しかし、下記のような面倒くささに現住所に変更しました。

 

「花 時 計

本籍地から離れて生活していると面倒な手続きがある。戸籍謄本の取得がその一つ。高齢の父は愛する故郷に本籍を残しているが、前時代的な手続きにいつも嫌気が差すという▼自治体のサイトから申請書をプリントアウトして記入。謄本1通につき450円の手数料と返信用封筒を添えて、自治体に郵送する。手数料は郵便局の定額小為替で支払うことになっていて、これにも1100 円の手数料が掛かる。謄本が届くのに1週間近く要する▼こんなときこそ マイナンバーカードの出番では?だが調べてみると、コンビニで謄本を交付できる自治体は25%足らず。店頭では端末で利用登録をし、暗証番号を入力して・・・えっと、マイナンバーの暗証番号は数種類あったな。こんなに煩雑で普及するのだろうか。(山田育代)」(2017914西日本新聞

 

定額小為替などもなれないと面倒に感じられます。なぜ、住基カードなど電算化しながら改善されないのか、不思議な話です。

 


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核兵器禁止今こそ [平和を]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「車検前に出費自損事故で涙  43

公園の有料駐車場でのこと。4時間以内なら400円。財布に小銭はある。しかし、出口が混み合い数分オーバーの500円。10円足りない。5円玉2枚はあるが使えず、1万円札も駄目。後ろは続々とサッカー大会帰りの車が長蛇の列。焦る。車内の子どもたちも大暴れ。後続の車に先を譲ろうと、後ろの車に少し下がってもらい、こっちも少しハンドルを切り、バックした。 以前なかったはずの黄色い ポールにぶつかり、ボコッという音と同時に、車が揺れた。車の後ろにくっきりと跡が付いた。涙が出た。深呼吸し、少し落ち着いてから車屋さんに行き、修理の見積もりを出してもらった。2週間かかり、12万円。とても痛い出費。翌月は車検もある。

人を傷つけたり、他車に被害を与えたりしたわけではないので良かったと、夫や家族に言われ、さらに涙が止まらなくなった。」(2017826日西日本新聞)

 

北朝鮮の核開発と対峙できないのは核保有国の論理でしか立ち向かえないのでは限界があります。日本は核の傘を言いますが、北朝鮮とどう立ち向かうのか。

 

長崎市長、核禁条約署名式出席ヘ来月

長崎市の田上富久市長は25日の定例記者会見で、920日に米ニューヨークの国連本部で行われる核兵器禁止条約の署名式 に出席すると発表した。「被爆地を代表して出席し、条約誕生を支持していることを世界に発信したい」と述べた。市によると、会場には条約に 賛成する国々のほか、条約成立 を後押しした国際NG.Oの席も準備される。NGO側が被爆地 .長崎からの出席を要請したと いう。田上氏のほか野口達也市議会議長、今年6月の条約交渉 会議で演説した被爆者で医師の 朝長万左男さん(74)も出席する。スピーチなどは予定されていない。 条約には国連加盟国の過半数 が同意したが、日本政府は米など核保有国の条約反対を受け、 署名しない方針。田上氏は長 崎原爆の日の9目、平和祈念 式典の平和宣言で政府の対応を 「到底理解できない」と非難した。」(同前)

 


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「家賃補助制度」を [住宅問題]

 

 

「仲畑流・万能川柳  毎日新聞2017815日 東京朝刊☆印は秀逸(仲畑貴志選)

☆トランプ氏アッカンベーが似合いそう 五條 根本幸司

几帳面すぎるのもまたエゴである 下関 赤馬福助

食べる為刑務所入りを願う人 久留米 多田てるお

豊かさの中で育って原石(いし)のまま 東大阪 きくさん (以下略)」

 

今も空き家が多いのに、宅地開発はやみません。それは住宅産業があるからだと思いますが、住まいの意識を変えた方がいい。山や丘が削られていく。そして、住宅の確保は個人任せが日本の常識になっています。

 

「現代日本は、建設業界と不動産業界と銀行がタツグを組んで発展させてきた。その分配がうまくいっていない。「食べる」「寝る」「住む」「着る」「遊ぶ」など、社会保障をもっと多様に捉え、社会資本への投資や整備に予算を投下していかなければなら なし たとえば、公営住宅や社会住宅を園、が整備できないだろうか。日本が潤っていたころは、企業が社員寮を用意して、住宅だけは保障していた。

あるいは、欧州のように「家賃補助制度」を導入できないだろうか。

大学の学費や塾代など、教育費負担を軽減できないだろうか。」(『貧困クライシス』藤田孝典)

 

 


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労働分配率が低くなっての好景気 [働く]

 

 

世論調査で「景気回復」というとき、庶民は消費支出が増えることを言うのだと思う。新聞の経済面のコラムを読んでいたら「バブルを超す好景気」だという。そして、人手不足だという。だが、スーパーなどは値下げに踏み切ったという。購買意欲が高まらないのだ。テレビでは総理が自衛隊幹部に国を守れという。どうも危機を煽って軍事産業の「景気」を良くしたいようにも受け取れた。テレビもまた総理の発言を何のコメントもなしに伝えることでは共犯でしかない。

 

「 国民総所得に家計が占める比率で見ると、欧米だけでなく日本においても、経営者と株主がいかに「レジに手を突っ込んで」いたかがよくわかります。国民総所得に占める家計 の賃金・俸給の割合は新自由主義路線が世界の潮流になったばかりの1980年度には46.5%でしたが、2015年度には405%にまで低下しました。 本来、労働分配率は、働く人の能力が低下していない限り、循環的な変動はあっても趨勢的には低下しないはずです。賃金を決めるのは、株主によって選ばれた経営者ですから、働く人の能力低下を証明する責任は経営者にあります。経営者がそれを証明できない限り、「レジに手を突っ込んだ」分は返還すべきです。その金額は一八七兆円にものぼります。文字通り地球を覆うのがグローバリゼーシヨンです。日本も例外ではなく、欧米と同じように、資本の利益と国民の利益は相反するようになり、国家は資本の言うなりになっています。つまり、国民国家の解体が進行し、国家は国民に離縁状をたたきつけ、資本の下僕になったのです。」(『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫)

 


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「老いる暇をつくらない」 [寛容なき社会]

 

 

植物はなぜ動かないのかという本を読みました。

 

「植物にとって、水は生存に不可欠なものの一つである。 ところが、サボテンはわざわざ雨の少ない砂漠や乾燥地に生えている。このような過酷な 環境では、競争に強い植物は実力を出すどころか、生えることさえできない。そのため、サ ボテンは強い植物との競争を避けて、このような過酷な環境を選んで生えているのである。 つまりは「戦わない戦略」である。しかし勝負から逃げているわけではない。他の植物との競争は避けているが、乾燥という過酷な敵と戦っている。」(『植物はなぜ動かないのか』稲垣栄洋)

 

加齢して動けなくなるかもしれません。それでも生きていくヒントになれるかとは思いましたが・・・。それも過酷な道だという。

 

新聞コラムからです。テレビでみた人は99歳で将棋教室みたいなものを始めたという。

 

「 春秋

  これも長寿社会の恩恵だろう。書店に行くと、高齢の作家らがつづった新刊の指南書が並ぶ。「老い」を見据えつつ、いかに心穏やかに生きていくか

▼人生の道のりは険しい。故に登山に例える人は多い。けれども、その神髄は登坂ではなく下山の景色にある-と説くのは五木寛之さんの「孤独のすすめ」(中公新書ラクレ)

▼上りの視界は往々にして狭い。眼前に続く曲がりくねった山道にひたすら歩を刻んで頂上を目指す。下りはどうか。周囲の山々や下界の地形が見渡せたり、上りのときには気付かなかった動植物の営みに心を癒やされたり

▼人生の後半は円熟期。人はそこで自身の来し方行く末を冷静に見つめることができる。だから無理に若返ろうとする必要はない。むしろ、老いを認め受け入れることが大事ではないか-と

料理家の桧山(ひやま)タミさんは「いのち愛しむ、人生キッチン」(文芸春秋)で、食の大切さとともに長寿の秘訣(ひけつ)をさりげなくつづる。世の中でどんな事が起きているか、気になる情報はないか、と毎朝、新聞を読んで好奇心のアンテナを張ること

▼体は弱ってきても、おもしろがりの精神は枯れない。それが「老いる暇をつくらない」ことになる-と。五木さんはことし85歳、タミさんは91歳。2人に学ぶアンチエイジング(抗加齢)の基本は“発想の転換”か。じわじわと深まる秋は読書に親しむ季節。敬老の日(18日)も近い。=2017/09/10付 西日本新聞朝刊=」

 


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林えいだいさんが亡くなった [平和を]

 

 

自衛隊を憲法に明文化しようとしています。そのなかで林えいだいさんが亡くなった。

 

「 9条改憲阻止へ連帯呼び掛け 「市民アクション」中野で始動 東京新聞

  

  安倍政権による憲法九条改憲を阻止しようと、さまざまな市民団体が集結した「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」のキックオフ集会が八日、東京都中野区の「なかのZERO」で開かれた。約千五百人(主催者発表)が参加し、立ち見や会場外のロビーで訴えを聞く人もいた。

発起人の一人で経済学者の浜矩子(のりこ)同志社大教授は「安倍政権は、(改憲反対へ)広範な連帯が起きるのを恐れている。一緒に声を上げよう」と呼び掛けた。

 市民アクションは、五月に安倍晋三首相が自衛隊を憲法に明記し二〇二〇年の施行を目指すと表明したのに対して、臨済宗相国寺派管長の有馬頼底(らいてい)さんや作家の沢地久枝さんらが呼び掛け、結成。来年五月三日までに三千万人分の署名を集め、改憲案を国会提出させないことを目指す。十一月三日には国会周辺で大規模集会も予定している。」

 

平和を脅かす指導者がいる世界では告発する人が大切です。

 

  論説委員の目

 戦争や公害に押しひしがれた名もなき人々の小さな声をすくい上げ、歴史に刻み続けた筑豊の記録作家、林えいだいさんが亡くなった。

 福岡県田川市に林さんを訪ねると、まずビールが出た。飾らない人柄で大の話し好き。居酒屋に移り、飲み続けることもあった。同じ筑豊の記録文学の大先輩、上野英信さん(1987年没)の思い出話をよく聞いた。

 林さんは1970年、教育委員会職員から記録作家に転じた。福岡県鞍手町にあった上野さんの住居兼資料館「筑豊文庫」に通って酒を酌み交わし、薫陶を受けたという。

 「偉大な作家だった。『金を惜しむな、時間を惜しむな、命を惜しむな』ってね。教えられたことは多い」

 「でも、取材の手法などで意見が対立することが多くなって、足が遠のき、仲たがいしてしまった」。寂しげな口調は今も記憶に残る。

 時間をかけて取材し、文章を練り、深い洞察力でテーマを掘り下げる上野文学から離れながら、林さんは「おれは多くの証言を掘り起こし、後世に残す仕事に徹しよう」と覚悟を固めた時期があったのではないだろうか。

 自腹を切り、時に借金を背負って、国内外を駆け回った。テーマは北九州の公害から、ライフワークとなった朝鮮人強制連行問題、日本による台湾統治、戦争末期の特攻隊へと広く枝を広げた。

 87年春、林さんは病に伏せった上野さんを見舞ったという。その後、田川の自宅に資料館「ありらん文庫」を開いた。記者を酒で迎えるのも上野流と聞いた。「上野さんから万年筆を贈られた」とうれしそうに語ったこともある。

 上野さんに対する友情と尊敬は、終生変わらなかった。

 筑豊の記録文学の灯は、これで消えるのかもしれない。それでも、私たちの手には2人の著作がある。

 林さんが83年の人生で残した本は58冊に上る。過去を見詰め、未来をひらくために耳を傾けるべき、大切な証言が詰まっているはずだ。=2017/09/09西日本新聞朝刊=」

 

      


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「おしゃれをする。外に出る。 笑う。感謝する」 [医療]

 

 

女性投稿欄からです。

 

「紅皿 朝のリップクリーム  74

毎朝使っているリップクリームがなくなった。買い置きしていた品のパッケージを剥ぎ、 真っさらなクリームに触れた瞬間の何とも言い 難いワクワク感。男性には分からない感覚かな ?久しぶりに、忘れかけていた「おんな」を意識しておかしくなった。年末には後期高齢者のレッテルが貼られるというのに。 パーキンソン病と診断された先生に「いかに 生きていけば良いか?」と半ば食って掛かるような口調で問うと「おしゃれをする。外に出る。 笑う。感謝する」ことが柱と諭された。にもかかわらず不自由な動きで試着もままならず、洋服や靴などを買うことができずに、鬱々と過ごしてきた。

病に対する甘えがあるのだろうか?甘えてはいけない。先生の教えに従って生きることが今の私の仕事。頼りにしていた医院は閉院し、先生とはそこでの診察だけの付き合いだったことが残念でならない。でも人生の指針を得たこと、心の中で手を合わせている。先生、気持ちを新たに、出会い、ときめき、笑い、遊び、マイペースで生きていきますよ今朝はリップクリーム一つでいろんなことに出会えた気がします。」(201798日西日本新聞)

 

どう生きていくか、医師に問うてもと思うが対応した医師もすごい。少しだけのことで気分は変わるのですが、それをなかなかやることきができない。厄介なものです。

 

同じ新聞の戦争体験投稿欄からです。

 

「帰還はしたが 人が変わった 86

隣家のおじさん40歳を超え、身長も150センチもない貧弱な体であった。終戦 数カ月前、そんな人にも召集令状が来た。 終戦翌日であったか、米国かどこかの連合軍の艦船 が福岡進駐のため、博多湾沖に停泊しているとのうわさが流れた。福岡市内は田舎への疎開 騒ぎで、昼夜を問わずガラガラと荷車の音が響きわたっていた。わが家も女性たちを避難させようと準備していた。そこに、おじさんが上官に連れられ、ひょっこり帰還された。頭には傷が2カ所あり、気も正常ではない様子がうかがえた。私の父の「お帰りなさい」に「ありがとうございます」と返ってきた。哀れで、言葉がない。じーんと目頭が熱くなり、涙した。軍隊で一体、何があったのか。よほどひどい暴力を受けたのではないか。その結果・・・。

日本の軍隊とは兵に制裁を加え、死をいとうことがないようにする組織ではなかったのか。そんな思いが募る。私の心に残る戦争のむごい断片である。」

 

人生を奪われる戦争は嫌だ


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歌謡曲が生活の中に [生きる]

 

 

次のコラムから思い出しました。

 

「ハマクラ生誕100

ハマクラさんこと浜口庫之助さんが没して,もう27年。今年が生誕100年である。 小学校5年の時、スリー・キャッツが唄う「黄色いさくらんぼ」を口ずさんでいて、母親に妙な顔をされたことを覚えている。ハマクラさんの歌は耳に軽快で実に調子がよく覚えやすく、唄いやすい。若い娘がウッフン、の「ウッフン」 は何を示しているのかよく分からなかったが、子供にも漠とした官能さは伝わった。今思えば、この歌が戦後に引導を渡したのかもしれない。直ぐに守屋浩の唄う「僕は泣いちっち」がラジオから流れてきた。「ナイチッチ」と云う表現が面白くしばらく子供たちの流行語になった。続けてやはり守屋の「有難や節」、なんでもかんでもアリガタヤである。小6だった。まだ身なりは貧しかったが、みんな徐々に食えるようになっていた。ひもじさがないだけで、有難かった。 高3の頃、失恋をした。西郷輝彦 の「星のフラメンコ」が悲しく流れ ていた。失恋した心にピッタリ寄り 添ってくれる歌だった。故郷のすべてを振り切るように上京した。東京 の安下宿、マイク真木が「バラが咲いた」を弾き語りし始めた。大都会 で一人ボッチのアパート暮らし、知 り合いとていない。でも落ち込んで はいられない。仕送りしてくれる両親に申し訳ない。マイクの声は心の庭にバラを咲かせなさいと私を励ましてくれた。昭和の歌謡曲の大作曲家と称されるが、上記にご紹介した歌は「黄色いさくらんぼ」の星野哲郎を除いて、作詞もすべてハマクラさんである。大作曲家にして日本人を明るくしてくれた大作詞家でもあった。(中洲次郎) 」(201796日西日本新聞

 

中洲次郎氏も子どもの頃歌ったように、子どもたちは浜口氏の歌などを歌い、親たちは東海林太郎・灰田勝彦などを家の中で歌う。テレビが占領する前の時代の風景だったように思う。


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奨学金がなぜ問題に [経済]

 

 

「(声)給付型奨学金受ける重み知る 22歳 201796日朝日新聞

 

 給付型奨学金について、政府の方々や後輩に伝えたい。私は、3年間連続で給付型奨学金を受けることができた。入学時は給付型奨学金を受けられなかった。だから、毎学期必死に勉強した。

 「アルバイトと学業の両立は負担になるのでは」という意見はある。私も1年生の時、体調を崩し、医師に「今治さないと一生引きずる危険がある。睡眠不足は避けなさい」と言われた。体力の限界を知り悔しかったが、短時間で結果を出す姿勢を身につけ、バイトとの掛け持ちも乗り切った。だから、制約ある状況でもよい成績を残すことは可能だと思う。

 自分には、授業を受ける大教室の場で質問したり、英語で発言したりすることを課した。顔を覚えてもらったおかげで、助手の大学院生には、食堂で苦手分野の特訓をお願いできた経験もある。

 私は人前で話すのも試験もとても緊張してしまうが、学び続けた結果、大学や夏期留学先から約200万円の授業料を免除された。

 勉強を通して社会には大変な境遇の人がいると知ることができた。だから、給付型奨学金の「成績優秀者への奨励金」という価値は守っていってほしい。」

 

教育費の予算支出に占める割合は他国に比べても低いという。OECDのなかでも最下位を続けるなどしています。奨学金は苦学生のイメージですが、今は半数程度が受けていますが、返済型がほとんどで給付型は少ないという。

 

「この間にそれほど大きな社会問題とはなってきませんでした。それはどうしてでしょうか。 それは、新規学卒一括採用・終身雇用・年功序列型賃金を特徴とする日本型雇用が維持されてきたからです。ある時期までは、上昇した大学費用を支払うことが可能なだけの所得を得ている親が、子どもを大学に通わせているなかでは多数派でした。 日本型雇用が成立したのは、195060年代にかけての高度経済成長期です。この時 期に日本の大企業は強力な労働者支配のしくみをつくり出しました。それは労働者を入社 から定年まで、昇進や昇格をめぐって激しく競争させるメカニズムです。

それを支えた一つのシステムが年功序列型賃金制です。大企業の正社員を中心に年功序列型賃金制が定着していました。ヨーロッパやアメリカのような、年齢に関係なく、同じ仕事をする人は同じ賃金というシステムとは異なります。

日本では初任給は安いのですが、昇進や昇格を繰り返し、4050歳になると賃金が上昇

していきます。この構造では、途中で会社を辞めることや、昇進の階段を上らないことは、

労働者にとって大きな損失となります。(略)

この年功序列型賃金制は、労働者の家族のライフサイクルとも適合的でした。教育費や 住宅費など、生活費がより多くかかるようになった頃に賃金も上がるので、くらしをまか なうことが可能になるからです。たとえば、子どもが生まれて、その後の教育費用がかか る頃には親の賃金が上がって何とかなったのです。 ヨーロッパ諸国では、年齢に応じて賃金が上がることは基本的にはありません。若い時 は日本の労働者よりも高い賃金をもらっていますが、そのお金はその時点での生活に使わ れます。そこで、子どもの教育費は公的な教育支出によってまかなうべきだとの発想が出てきます。

それに対して日本では、教育に関わる費用をヨーロッパのように福祉国家の制度で公的にまかなうというよりも、自らの賃金から支払うという考えが一般化しました。だからこそ、労働者の多くは企業に忠誠を誓って、ますます働くことを余儀なくされたのです。しかし、日本型雇用が福祉国家を全体として肩代わりできたわけではありません。」(『奨学金が日本を滅ぼす』)

 


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無念の死 [平和を]

 

 

「仲畑流・万能川柳 毎日新聞201795日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

☆水を買ういつの間にやら当たり前 松原 お亀

問題は交替させる党がない 神戸 芋粥

墜ちれども墜ちれども飛ぶオスプレイ 門真 小円財夢

ママパート兄弟留守番夏休み 三鷹 ガス橋 (以下略)」

 

交代させる党がないというのはマスコミの受け売りのようにも思うが・・・。結果的には現政権の肯定になる。それでいいのかという問いが必要なのではないか。

 

インパール作戦ごとく餓死した人の方が多い戦争では「無念の死」てはないか。

 

「(声)「犬死にさせられた」受けとめる 67歳 201795日朝日新聞

 

 「平和と繁栄は戦没者のお陰か」(8月23日)を読んだ。戦没者を「尊い犠牲」とあがめるのは戦争を美化し、「無念のうちに死んだ人々へのむしろ侮蔑」というご意見に感動した。

 私の父は召集されて旧満州(中国東北部)に送られ、転戦、敗走を重ねてベトナムで終戦を迎えた。戦争体験をたびたび聞いた。兵たちに酷(むご)かったばかりでなく、中国人の首に導火線を巻いて点火し吹き飛ばす、などの残虐行為を目にしたとも話してくれた。戦争への嫌悪と恨み、悲しみが伝わってきた。

 母の弟は、インドネシアのビアク島の激戦で死んだ。詳しい状況は不明で、祖母は後々まで母に「どう死んだかねえ」と語りかけ、母は「突撃して勇敢に死んだよ」と答えるのが口癖だった。でも、私には「犬死にさせられた」と怒っていた。その激しい口調には、自分もまた東京大空襲でまさに地獄を見た思いもこもっていただろう。

 祖母は、息子がせめてお国のために勇敢に死んだと信じたかったろう。だが私は亡き両親の「みんな、犬死にさせられた」という言葉を真正面から受けとめたい。そして反省することこそ、平和への祈りだと思う。」


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論理破綻 [平和を]

 

 

 

「核「ノー」最多21万人

高校生大使国連に署名提出

ジュネーブ共同】核兵器廃絶を世界に訴える日本の高校生平和大使22人が22日、スイスジュネーブの国連欧州本部を訪れ、各地で集めた約214千人件 署名をジュネーブ軍縮会 の事務局に提出した。大使の活動は20年目を迎えるが、今年は核兵器禁止条約の成立など「核兵器なき世界」を求める声の高まりを受け、署名の数は過去最多となった。(以下略)」(2017823日西日本新聞

 

核兵器禁止条約に参加しなかった日本。アメリカに追随したともいわれます。核保有国ともたない国との橋渡しをするというが、北朝鮮はどうする。それでも橋渡しするのか。

新聞の投稿欄からです。

 

「米追随だけで 誇りはどこに 68

87日付本紙の西日本読者文芸に〈終戦か敗戦なのか蝉しぐれ〉という一句 が掲載されました。 15日を「終戦記念日」と 決めたわが国。だが、政治や経済そして社会のありよ うまでもが米国の事実上の支配下にあり、その意向に逆らえない現実がある。国連の核兵器禁止条約交渉に 核の傘論を根拠に参加しない政府の欺瞞的態度もそうです。 そんな敗戦国日本の姿を 直視し、現状を改善しない 限り、日本人としての誇り も祖国愛も取り戻せないで しょう。憲法を超えた安全保障体系。その基となる日米地位協定が日米合同委員会という密室で米軍優位を定め、沖縄や全国の基地周辺住民の人権を侵害しています。パスポートもビザも不要で自由に出入国する米軍関係者。日本が治外法権化し、米軍の思いのままではないですか。今こそ、不平等な日米地位協定を見直すべきです。米国に忖度し、思考停止に陥った国会議員や官僚任せにせず、国民一人一人が国の安全について真剣に考えるべき時が来ているのではないでしょうか。」(同前)

 

誇りの問題かどうかは意見は分かれると思いますが。


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非暴力の勝利を [沖縄]

 

 

 

「辺野古移設反対組織に平和賞授与 ドイツ国際団体、非暴力を評価

20170831日西日本新聞

 ドイツの国際平和団体「国際平和ビューロー」(IPB、ベルリン)は、2017年のショーン・マクブライド平和賞を、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する政党や団体でつくる「オール沖縄会議」に授与すると決めた。IPBから連絡を受けた同会議関係者が31日明らかにした。 IPB自体は、1910年にノーベル平和賞を受賞している。 オール沖縄会議は、移設反対を掲げる翁長雄志知事の支援母体で15年12月に設立。授賞理由に「軍事化や米軍基地に反対する非暴力の取り組み」などを挙げた。

 授賞式は11月24日にスペイン・バルセロナで開催される。」

 

沖縄の抗議活動の非暴力的活動には共感が広がっています。

ミサイルで威嚇する時代ではないとも思う。

 

新聞のコラムからです。

 

デスク日記

 

 テレビに映るオレンジ色の噴射炎は、怖くもあり、悲しくもある。ミサイル発射を繰り返す北朝鮮を20年前の夏、取材で訪ねたことがある。

 街のあちこちに政治的なスローガンが掲げられ、指導者の巨大な像に兵士らが敬礼する様子には、息苦しさを感じた。一方で、ほとんど報じられない普通の人々の姿には、親近感を持つことができた。

 小学校では、遅刻しそうになって駆け込む子もいたし、サッカーボールを夢中で追いかける子もいた。通訳をしてくれた平壌外国語大の女子学生は「いつか日本に行き、有名な電機メーカーの工場を見たい」と目を輝かせていた。

 北朝鮮出身の夫と共に、戦後間もなく海を渡った日本人妻にも会えた。「生きているうちに、もう一度、祖国の土を踏みたい」という彼女の夢はかなうだろうか。

 日本も北朝鮮も互いに「脅威」でなくなればいい。笑って交流できる日を、多くの人が待っている。 (江田一久)=2017/08/31付 西日本新聞朝刊=」


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